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ななめ読みのキーワードちりばめながらの主題のウワベを語るデートはもう最低
いつからか、いや昔からか
テレビや新聞は煽り倒し、視聴者に目くらましをしたまま世論とやらを沸騰させて、そして何か動かしたらこれがペンの力だと誇り奢り倒す
だからどうだと言われてもそういう世の中に生まれ育ったのだからそれが良いとか悪いとかではない、ただあるがままを受け入れて、それを前提とした社会で生きて行くためにはそれをうまく使うだけである
15年ほど前から世の中にインターネットなるものが登場した
今まで情報の発信というものが特定の人間にしかできない特権だったのだが、それが解禁されたのだ
まさに情報発信の庶民革命である
だが15年経った今、情報発信が簡単にできる時代になって我々は何を発信しているのだろう?
個人ページブームに始まって匿名掲示板やブログ、SNSやら今だとツイッターとかそういうツールの歴史は置いておくとして
個人が情報発信をするには限界が出てくる、それを専業として成り立たなければ仕事の合間とかに記事を書くしかないからだ
新聞や雑誌を読んでいるだけの立場の人からしてみたら原稿用紙数枚程度なんて1時間もあればできるじゃんって思うかもしれないが、実際に真面目に個人ページやブログをやっている人ならわかると思う、1時間ばかしではできないw
企画→取材→投稿→コメントに返信などなど
普通組織でやっているようなことを全部一人でやるわけだ
当然個人なので企画は甘くなりがちだし、取材といっても集合写真とかそういうのばっかりで面白い写真もとれないし、投稿する文章だって拙い物が多いかもしれないが、それでもその完成度と製作時間は必ずしも比例しないのが個人ブログなり個人ページの宿命である
才能がなくても情報発信だけはできてしまうからだ
そしてサイトの面白い面白くないはそういう才能に左右されないことが多い、しかし文章構成くらいはちゃんとしてないと流石に読み物としては面白く感じられないから難しいけどね
とにかく苦労して情報を発信した割に返ってくる物があればいいのだ、例えそれが罵倒でも煽りでも反応があればいい、だが殆どの場合が何も戻ってこない、つまり沈黙なんだw
だから個人ブログやページ作者はアクセス数を心の拠り所にしたがる
これもどうかと思うのだが、まあいい、ここの本題ではない
匿名掲示板なりSNSなりブログなりツイッターなり、つまり個人が情報発信できるであろうツールには情報元をテレビや新聞や雑誌に頼ることが多い
それも大体の場合はタイトルが先行する
そして中身の文章をロクに読まず、そのタイトルから受ける印象だけで意見が交わされる
いや、例え記事をじっくり読んだとしてもそれはあくまでも記事からの二次ソースなわけで自分自身が対象を見たり感じたりしたことと比べれば比較にならないほど制限された意見となってしまうわけだ
じゃあ自分が取材に行くのか?
本来情報発信者ってのはそうでなければならないと思っている、もしくは取材なんて行かなくてもそのことに精通していればいいのだと思う
雑誌が最近つまらなくなったと感じる方も多いかもしれない
現場に取材に行くことなく、というか行けるだけの経費も出ずと言う方が正しいのかな?
取材対象からもらった資料を元に文章の量を調整しているだけなので楽しくないとフリーライターの友人たちは口を揃えて言うんだ、だから面白いわけがないとまで言っている
新聞だってそのほとんどは官公庁発表のソースを元に構成されていて、テレビのワイドショーなんかはその新聞の見出しだけでコーナーを作り上げる
なんとも二次ソースだらけの世界になってしまってはいないだろうか?
だからこそ我々個人が情報発信を!
と意気込んではみたのだが、いかんせん金にならんのさw
ちなみに私自身はアフィリエイトを否定はしない、でも本当に望ましいのは情報を受け取る側がその情報に対して対価を払う形で成り立つのが本当はいいんだろう
せっかく手にした情報発信の道具をアフィリエイトで稼ぐためだけに折り込みチラシ化してしまい、流行りのキーワードだとか二次ソースの劣化で埋め尽くすのはなんという権利放棄なのだろうとも思う
拙い文章で面白くもないが自分の目と足で書いた記事や、自分の経験を元にした文章というものをもっと増やして欲しいと思うのです
それにたまたま合う広告があるのであればそれはそれを持って収入とすればいい、だが逆に物を売りたいから記事を書くではつまらなくなった雑誌と同じではないか?というだけの話をこんなに長く書いてしまって申し訳ございません
結論:書きたいことも書けないこんなネットなら ポイズン
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